2013年6月23日日曜日

6.18 Zepp Nagoya LIVE REPORT


ギターの1ストロークだけで、その音楽が本物かどうかがわかる、と言ったのは誰だったろうか。たしか高名な音楽評論家の言葉だったと思う。まったくその通りだ。けれど、長渕剛の場合は少し違う、と言っておこう。1ストロークする前から音楽が鳴っているのだ。長い年月をくぐり抜けて来たギターのボディに反射する鈍い光、それを構えた長渕のふてぶてしいまでの存在感、それと一段とボリュームを上げた歓声とのギャップ、そうしたすべてから、もう音楽が鳴り出しているのだ。そして実際に音が響き渡ると、会場は一気に静まり返る。6弦から1弦までの細やかな表現が聴覚だけではなく、視覚や触覚、あらゆる感覚を開放していく。音楽の訪れだ。僕たちはその響きに誘われて、これからしばらくの間、素敵な旅に出るのだなと幸せな覚悟をする。

 この音楽の旅は、じつにバラエティに富んでいる。ジャンルも国境も時代も超えて行く。1960年代のニューヨークのグリニッヂ・ビレッジからもっと古い時代のアメリカ南部ミシシッピ川沿いの古ぼけた街角、そして1970年代、学生運動の残り香のする博多の街へ、あるいはバブル期の原宿……たしかにその時代、そこで鳴っていた音楽が長渕のギターと声を通して聴こえてくるのだ。フォーク、ブルース、ロック、あらゆる音楽の魂が長渕剛に感応して瞬いている。

 自分の身体が自然なリズムを刻み、ブーツで床をタップし、手のひらは太ももを叩いている。感覚としてあるのは、ああ、音楽の上に乗っかっているな、という最高の気持ち。まったく、どこまでも行けそうなあの気持ち。ステージの上で長渕がギターのストラップを外し、ローディーに次のギターを要求している。早く次の曲をやりたくて仕方がないのだろう。こっちだってそうなんだぜ! とっととやってくれよ! うわ! きちゃった! ボトルネックだよ、おいおい。ここはルート66か? 目の前の地平線に向かって真っ直ぐ伸びた道路を走っているような爽快さ。あるいはここはニューオリンズの街中か? もう身体が止まらないよ。かと思えば次の瞬間には、ガラス細工のような繊細な音で構築されたラブ・ソングの世界で涙腺を震わせられる。

 終わったら、もうへとへと。今回のファンクラブ・イベント、長渕剛の長い歩みとともに、彼の音楽的レンジの広さも十分堪能出来る構成となっている。 
 自らの感覚を開放して、純粋に音楽を楽しんで欲しい。