2013年6月29日土曜日

6.20-21 Zepp Tokyo LIVE REPORT


「未来」と言われて、うまく想像できる人がいるだろうか?

「夢」や「将来」なら、ああしたい、こうしたいという希望を語ることはできる。しかし「未来」という響きには、途方もない大きなものが含まれているような気がして、少し腰が引けてしまう。きっと、「夢」や「将来」はその人個人に集約される言葉で、「未来」の指し示す範囲はそれよりも広いためだろう。そう。我々は、自分の中から一歩でも外に出ると、とたんに迷子になってしまう。

 今回のファンクラブツアーでは新旧の名曲が、ギター1本の妙技で披露される。考えてみたいのは、どうしてギター1本のステージだったのか、ということだ。そこにはもちろんファンクラブ・イベントならではの親密さが大きな理由としてある。そしてもう少し突っ込んで考えてみると、長渕の深い意図が見えて来る。

 最上の音楽を最高の空間で共有すること。これこそがライブの本質であり醍醐味だ。バンドサウンドや演出を取り払って、むき出しになった長渕のギターテクニックのすごさには感嘆させられる。リズム感、表現力、アイデア……人間の感情のひだにピタッと寄り添うことの出来るギターだ。楽器と身体がもともと一体となった、〝そういう人〟に見えてくるほど、彼のギターサウンドは生理的に心地よい。そして、ボーカルの迫力は、弾き語りでこそ際立つ部分だ。言葉一つ一つに対する微妙なアプローチの違いがわかって、たとえ三十年前の曲であっても、今という地点にしっかり立脚しているところがすごい。

 青春時代に心を振るわせたあの曲を、何十年たって、ライブ空間で聞く。その瞬間、個人的な様々な思い出がよぎっていく。長渕の曲への想い、個人個人の曲との思い出、それらがひとつになって向かうのは「未来」だ。

『未来』の中にこんな一節がある。

  

  君の瞳の中に 僕がいるかい

  僕の瞳の中には いつも君が生きている


 それこそが「未来」なのだと唄はつづく。

 考えたり想像したりすることは難しくても、自分と誰かが何かを共有している、その状態が「未来」なのだ。

 長渕が今回、ギター1本で、かつ、極力演出を排除したシンプルなステージにこだわった理由がおわかりいただけただろうか?

 ファンクラブのみんなと未来へ向かいたい。そこには長渕の強い意志が込められている。